【愛知県】豊橋祇園祭打上花火大会2022の開催日はいつ?見所や歴史について紹介!

愛知豊橋祇園祭打上花火は、江戸時代日本三大花火受継ぐ花火大会で愛知豊橋では人気の花火大会です。

 

三河伝統手筒花火発祥の地で江戸幕府からの火薬番として受継れ、手筒花火は吉田神社境内から放揚される花火は、橋祇園祭打上花火の見所としても有名です。

 

今回は【愛知県】豊橋祇園祭打上花火大会2022の開催日はいつ?見所や歴史について紹介します。

 

さっそく見ていきましょう♬

 

  【愛知県】豊橋祇園祭打上花火大会2022の開催日

 

 

2020年~2022年の3年連続中止になりました!

2023年こそは開催して欲しいです。

 

2022年度祭礼日程

 

♢7月16日(土) 手筒花火奉納(吉田神社境内)※現在、無観客を想定しております

♢7月17日(日) 吉田神社例祭

 

詳しい詳細は公式サイト、関連サイトはここから

 

今回は、規模を大幅に縮小し、神事を中心に、8か町内および関係者にて開催するようです。

 

 

 

 

【愛知県】豊橋祇園祭の歴史について

 

豊橋祇園祭は、もとは吉田神社 (牛頭天王社、吉田天王社) の神事として始まる。

吉田神社は、祭神として古事記にも登場する素戔嗚尊 (すさのおのみこと) をお祀りしており、旧社家に残された資料によると、その創建は1124年とされています。

吉田神社は、京都の八坂神社に端を発する牛頭天王信仰に結びついて、祇園精舎の守護神であるこの荒ぶる神には疫病を払う力があるとされているとのこと。

そのような信仰に基づいて吉田神社は、古くから武将に親しまれ特に、源頼朝に尊ばれていた事でその名が知られてるそうです。

東海道を渡る武士達にとっては、三河地方 (愛知県東部) は東から西、あるいは西から東への分岐点であった事とも無関係ではないようです。

吉田神社は手筒花火発祥の地でもあり、境内には記念碑が建てられています。

出典:toyohashigion.

豊橋祇園祭と吉田神社の歴史について

 

豊橋祇園祭は、吉田神社の神事から始まったという歴史があります。

 

三河吉田 (現: 豊橋) の豊橋祇園祭の始まりは、鎌倉時代の初め頃であったとされています [井沢 1982]。

疫病払いを祈願する祇園祭では、火の使用による悪霊放逐という考えが、やがて手筒花火の放揚に結びついたとようです。

しかし、花火を打上げ始めた時期 に関しては諸説あり、少なくとも戦国時代の鉄砲伝来 (1543年)以降であったと考えられます。

戦国時代の1558年、吉田城城代 (今川義元の統治下)により手筒花火の奉納が執り行われ、氏子八ヶ町から手筒を放揚し技を競い合ったという記録が社史に残されているとのこと。
この頃に は本町の路上で流星手筒や建物綱火 (仕掛け花火の一種) などが打上げられいたそうです。

江戸時代には、平和の訪れと共に火薬の利用が多様化し、吉田藩主の保護を受けながら本格的な花火大会へと成長していきました。

この ように、豊橋祇園祭の花火には日本国内でも有数の歴史があり、江戸時代当時から、多くの文献にその盛大な祭りの様子が描かれています。

同時に江戸時代に は、徳川家康の出身地であった三河地方において、火薬の製造・貯蔵に関する規制が他藩に比べ寛大であったため、こういった背景から、三河武士のあいだで火薬の利 用が広まり、打ち上げ花火をあげる技術的な土台ができたと考えられています。

吉田神社への奉納花火から発達して、境内で余興として打上げていた仕掛け花火などが、のちに豊川の河川敷でも行われる様になった事から現代では、前夜祭を含めて3日間に及ぶ、夏の一大風物詩となりました。

豊橋祇園祭の3日目を、吉田神社における手筒花火と大筒の神前放揚、豊川河川敷における打上げ・仕掛け花火と川手筒や、3日目の本祭、吉田神社から出発して氏子八ケ町を廻る神輿の渡御(みこしのとぎょ)に分けてご紹介してるそうです。

出典:toyohashigion.

手筒花火 花火の種類について

 

出典:toyohashigion.

 

豊橋祇園祭は、7月第3週の金曜日、大筒の練り込みと吉田神社での 手筒花火の奉納、“神前放揚(しんぜんほうよう)” に始まります。

手筒花火とは、節を抜いた孟宗竹(もうそうちく)の中に火薬を詰めたもので、噴出する花火を脇や腹に抱えて打上げるようです。

東三河の手筒花火の奉納は、現在の花火大会の原型で歴史ある神事です。手筒の材料となる竹の確保から打ち手たち自らで行うのが習わしのようです。

大筒とは、手筒花火と同じ形状をした大型の花火で、台の上に固定したまま揚げ、18世紀には既に祇園祭に登場。

各町内で用意された大筒は、氏子衆に担がれて関屋町交差点で一斉にスタートして、大筒はそれぞれの町で、全ての家の前を通って吉田神社まで担ぎ出されます。

出典:toyohashigion.

大筒が境内に到着する頃には日も暮れて、いよいよ手筒花火の神前放揚です。

竹の切り出しから始まり、2ケ月以上前から準備していた手筒花火は、奉賛会役員や八ヶ町の青年達によって放揚され、神前に捧げられるそうです。

出典:toyohashigion.

 

次に、境内脇の広場に場所を移し、大筒の点火が行われ、大筒への点火は”振込み”と呼ばれ独特の作法で執り行われるとのこと。

2人一組で台に上り、筒の入り口から火の粉が入らないよう1人が筒先に覆い被さる。

種火を持った点火役のもう1人は、その年の神事の無事を願って種火で”水”の字を3回書いた後、筒に被さった1人が身を起こし、点火役が大筒に点火して、合間には、小型の手筒花火や、筒先から星 (火薬の入った球) が多数飛び出す乱玉も打上げれられ、神事に華を添える。

出典:toyohashigion

 

いかがでしたか?

見ているだけで迫力が伝わりますね。

豊橋祇園祭と吉田神社の歴史が関係している伝統ある豊橋祇園祭

大昔からずっと伝わり守ってきたと言うので長い歴史でもありますね。

時代は、令和になりこのまま引き継がれていく豊橋祇園祭。

本当に花火大会の歴史は、地域によって様々ですね。

 

 

頼朝行列 受け継がれている時代絵巻

出典:toyohashigion
本祭では、全国の祇園祭と同じように、古式ゆかしいいでたちをした氏子衆の行列が、八ケ町内を練り歩きこれを神輿渡御(みこしとぎょ)といい、豊橋祇園祭では、源頼朝公にちなんで頼朝行列と呼んでいるそうです。
この頼朝行列東三河地方独特の、笹踊りの舞い手が付き従います。
笹踊りの様式は、1680年代には現在の形に出来上がっていたようです。
緋色の衣装に身を包んだ踊り手が3人1組になり、1人は太鼓、2人は小太鼓を打ち鳴らしながら踊り、踊りの最中に力石と呼ばれる石を踏む事で、悪霊を追放するということです。

出典:toyohashigion

頼朝役の男児、乳母、十騎と呼ばれる、十人の武将に扮した子供達が付き従い、最後に饅頭配り (まんじゅうくばり) が、饅頭を配りながら練り歩くそうです。

神輿渡御は、関屋町、上伝馬町、萱町、三浦町、指笠町、本町 (後者の3町は、現 新本町として統合) の順に巡り、本町の輪くぐり神社で祝詞をあげた後、札木町、西八町と回って吉田神社に戻るそうです。

出典:toyohashigion

【愛知県】豊橋祇園祭打上花火大会2018年

見事な花火!
迫力満点の打上花火ですね(^^)/

【愛知県】豊橋祇園祭打上花火大会2019年

 

 

 

この2019年の花火大会から2020年から3年連続中止になるなんて誰もが思ってなかったと思います。

 

新型コロナがこんなに長引くと思ってなかったの、2023年こそ開催して欲しいですね。

 

 

 

まとめ

 

 

愛知豊橋祇園祭打上花火は、江戸時代日本三大花火受継ぐ花火大会で愛知豊橋では人気の花火大会をまとめてみました。

 

○吉田祇園祭は、もともと祭神として素戔嗚尊 (すさのおのみこと)をお祀りする 吉田神社(牛頭天王社・吉田天王社)の神事として1124年に始まった歴史ある例祭です。
○吉田神社は、京都の八坂神社に端を発する牛頭天王信仰に結びついて、祇園精舎の守護神であるこの荒ぶる神には疫病を払う力があるという。
○三河吉田 (現: 豊橋) の豊橋祇園祭の始まりは、鎌倉時代の初め頃であったとされています [井沢 1982]

 

 

2022年の愛知豊橋祇園祭打上花火大会も中止になり、2020年~3年連続中止が決定!!

 

2023年こそは、開催して欲しいです。

 

今回は、【愛知県】豊橋祇園祭打上花火大会2022の開催日はいつからなのか?見所や歴史について紹介しました。

 

記事が参考になれば幸いです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。